それぞれの動向

恒例となってしまったモーニング娘。の脱退(卒業)劇。さすがに耐性が出来てしまったのか、はたまた別の要因があるのか、この出来事を比較的冷静に捉えている人が多いように感じる。現在では、感情を爆発させる熱きヲタは少数派になってしまったのかもしれない。受け止め方は人それぞれなので、月並みな言い方になってしまうが、どのような意見を持とうともそれは個人の自由だと思う。
ただちょっと気になるのは、感情を爆発させている人の矛先がUFAだけでなく、この騒動を静観する立場を取っている人にまで向けられているのではないか、と感じられる場合があるということ。そういった文章を目にしてしまうと、正直、文章が書きにくくなってしまう。ちょうど何かしらの牽制を受けたような感じになる。
誤解のないよう言っておくと、僕はこの一件に関し静観寄りの立場を取っているが、感情的な意見を持つ人と対立しているわけではない。冷静で分析的な文章を目にすれば、その知性に納得し、感情を露にしている文章を目にすれば、その情熱に共感する。日和見と思われるかもしれないが、感情を露にし、その心情が熱く記されている文章には、人は少なからず感銘を受けるもの。それになんといっても、僕はモーニング娘。のファンなのだ。もちろん、その文脈が目に余るほどおかしな方向に行っていないという大前提はあるが。
ただ、理屈で書かれた文章と所謂感情論で書かれた文章は、本質的に対立するものなのだろう。一方は、ひと時の感情に任せた恣意的なものではなく、理知的で冷静な判断を、と主張するだろう。一方は、頭で考える理屈ではなく暖かい血の通った心からの言葉を、と主張するだろう。ふたつは決して交わることのない並行線。だとすれば、モーニング娘。ファンのこの二極化も、決して分かり合えないものなのだろうか?
このような事件があるたび、それまで分かり合えていたファン同士がそれぞれの受け止め方の違いよって、袂を別つようになるのだとすれば、UFAは何重にも罪深いことをするものだと、悲しい気持ちになる。