24 -TWENTY FOUR

1stシーズンを最後まで観た。前回の更新(〜16:00まで)の時点で、このドラマのテーマは「家族愛」にあるとの確信を強めた僕は、”うわべはサスペンスアクションの体(てい)を装ってはいるものの、真のテーマは「家族愛」にある!”と我が意を得たりとばかりに大見栄を切った。がしかしあれ以降、普通に「家族愛」がメインテーマとなってしまったので立つ瀬がない。まさかの直球展開。
最終的にジャックは*1テロリストの一味に妻を殺害され、パーマーは妻として信頼することが出来なくなった妻シェリーに三行半を突きつけた。全ての家庭が崩壊するのを見届けた後、ドラマは幕を閉じた(ちなみにテロリスト家族は全滅)。ジャックの妻テリーの不倫の事実を明かした、全体の流れからは不自然な場面があったことからも(ジャックは最後までその事実を知らない)、つまりはそういうドラマだったのだと思う。テリーは夫の不倫相手ニーナをあれほど責めたてておきながらそれはないだろうという話。以前に、”あざ笑うためにあえて「家族愛」を持ち上げているのでは”といったようなことを冗談で書いたが、あながち間違ってはいなかったかも。「家族愛」は幻想もしくは他の何かを成し遂げるための手段でしかないということか(パーマーの妻シェリーにとっては自らが大統領婦人となるための手段でしかなかった)。身も蓋もない現実。
次期大統領候補パーマーは「家族愛」を志向しつつも、大統領という絶対権力への執着を完全に捨て去ることが出来なかった不甲斐のない男。しかしだからこそ、そこに逃げ道を見出すことが出来る。しかしジャックは「家族愛」を最優先事項として、パーマーはおろか全く関係のない民間人までも巻き込むことを躊躇わなかった。そんな暴挙を肯定的に描くことが出来たのは、彼の行動がひとえに「家族愛」という誰もが納得せざるを得ない普遍的真理に根ざしたものであったからこそ。それが幻想でしかなかったという事実はジャックの逃げ道を閉ざすだけに留まらず、ドラマの根本をも揺るがす事態に。テロリストによって蹂躙される以前に、家族の構成員たち(もちろんジャックも)の裏切りによって既に内部崩壊していたという皮肉は泣くに泣けない。大義名分を失ったジャックは道化師であると同時にただの他人迷惑な危険人物に成り下がる。何よりも事件に巻き込まれて死傷した人々が報われない。ジャックの奮闘は単に自己完結的にテロリストから家族の命を守ろうとしたに過ぎず、何ら真理を導くものではないのだから。最後まで「家族愛」を貫き通すことが出来たのはテロリストだけだったことからも、作り手が意図的に観る者の期待を裏切っていることは間違いない。サスペンス色を強めるための演出か、それとも何かのメッセージなのか。
全二十四話という長丁場を通して、観る者を飽きさせないテンションを維持し続けることはさすがに難しかったようで、中盤過ぎあたりからはやや粗が見え始めた感も。少数のテロリスト相手に後手に回ってしまうのは、やむを得ぬ事情によって主人公が単独行動(もしくは隠密行動)を採らなければならないなどの理由が必要であり、事件全容が明らかになってからも体制側が(自らの領土内で)後手に回り続けてしまうのは不自然。伏線皆無で突き進み続ける勢いのある展開はスリリングではあったが、落ち着いて冷静に考えてみると腑に落ちない箇所も多数。伏線張りを軽視したために腹心の部下ニーナが内通者だったという最後のどんでん返しも説得力に欠けて驚きが薄かった。最も信頼する者が黒幕だったという展開はミステリやサスペンスではありがちなだけに、もう少し必然性や整合性を補強する材料が欲しかったところだ(前半部分にどんでん返しと明らかに矛盾する箇所があるので、行き当たりばったりに製作した作品なのだろうけど)。

*1:一応ネタばれ対策。反転表示してください