仔犬のワルツ 第七話

滑り込みで先週分の感想を。そろそろ頃合なので、素人考え丸出しで色々と物申していこうと思う。
 まずはじめに、もう終盤に差し掛かろうというのに、「水無月家(東都音楽大学側)」部分の作りこみが依然として弱すぎるのはどうかと思う。それは漠然としたキャラ造形の問題。登場人物の紹介は一通り終了したが、水無月家の人々に関しては虚実入り混じり、確定した情報は何一つ示されていないと言っていいと思う。謎めいた雰囲気を引っ張りたい気持ちはわかるが、最低限度、兄弟それぞれの「真の人柄」や「真の相関関係」を掘り下げるなどして、視聴者がドラマへと入り込むための手助けをすべきだろう。そういった土台作りがしっかりしていないので、毎回のように発覚する新事実もだた混乱を招くだけ。揺るがそうとする土台自体がないのだから、印象としての驚きはあっても、意外性に即した驚きは殆どない。今更になって譜三彦と鍵二が双子だといわれても「そうなのか」としか思えない。そもそも「乱暴者」と「ピアノ巧者」という点で、器一と譜三彦のキャラ造形が混交しているように思うのだけど。
ひとつは相続争いと平行して起こる殺人事件の犯人捜し。もうひとつは直接的な登場はないが、水無月家の人々への影響力という形でドラマの中核に居座っている「鍵二」の、謎に包まれた人物像の解明。「水無月家(東都音楽大学側)」部分には、上記二つの事柄に関して推理や想像力を働かせるといった、サスペンスやミステリとしての効果も期待されていると思う。しかし何でもありの現時点ではあれこれ推理しても虚しいだけ。これらの効果はまったく機能していない。何でもありドラマの先読みをするということは、作調や作品の傾向を読んでいるようなもの。それはドラマの筋を読むというよりも、ドラマを飛び越えて作者と直接向き合う行為に近いと思う。
主要メンバーが徐々に脱落しはじめるなど、「水無月家(東都音楽大学側)」部分に比べれば、「選抜クラス」部分は進展を見せはじめている。こちらは人物紹介をしつこいまでに繰り返してきた甲斐あって、土台作りだけは最低限、出来ていると思う。たとえば、芯也が信用できなくなったとコンピューターは葉音の心中を代弁したが、これまで示されてきた葉音の人物像や芯也に対する感情の移り変わりなどと照らし合わせ、虚実どちらに転んでもおかしくない絶妙さがある。
構造的な見方をすれば、「水無月家(東都音楽大学側)」部分ではドラマの外郭作りと主にミステリとサスペンスの効果を、「選抜クラス」部分では主に視聴者の心情に訴えかけてドラマに深みを持たせる感傷的な効果をと、きっぱりとドラマを二分しているところが興味深いか。しかし二分による相乗効果などによって、全体としてプラスに働いているかといえば微妙なところ。ドラマを二つにしたことのしわ寄せが「水無月家(東都音楽大学側)」部分の作りこみの弱さに表れているように思う。はじめは同様の性質を持つパートナーを介することによって、水無月兄弟同士の「争い」に関わる部分を「要素」として抽出し、別途切り離すことによって心情的な部分をより強調して描こうとする試みなのかとも思ったりもしたがそうでもないようだし。
どちらにも属さず、自由に動き回ることの出来る刑事がキーマン的な役割を担っているのは必然か。