仔犬のワルツ (第八話)

ネットを見て回ったところ、本作品は早くも多くの人によって駄作(または怪作)との評価が下されてしまっているように思う。その理由は総じて、物語としての整合性やリアリズムに難がある、インパクト重視で突き進む前時代的な手法に馴染めない、ということに集約されているようにみえる。とすれば、本作品に対する批判の殆どは、その時代がかったドラマツルギーに向けられているといえるかもしれない。たしかに、そこを素通りして、直接ドラマとしての出来・不出来について語ることはできないように思う。
 何にしてもはっきりと言えることは、いつ頃からか我々(←僕)はドラマに厳密な現実感覚を求めるようになっていて、それを評価の一端とまでしてしまっているということだ。
暗い世相を反映してか、最近のドラマは重いテーマを採用する傾向が強くなってきているように思う。サクセスストーリーであっても、以前のようにただ社会的な地位を追い求めるだけでなく、それを絡めた内面的な実存問題の解決へと比重が傾いている。必然的にあまり現実からかけ離れた内容にはならない。
 例外といえば漫画を原作としたものかパロディくらいで、どちらも共通して現実性を免除されている。いや、はなから傍流として軽んじられているだけかもしれないが。とにかく、ジャンルによって観る側の姿勢に明らかな違いがあるといえる。(余談になるが、「笑い」の感情を呼び出すプロセスは他の感情と比べて驚くほど単純だと思う。他の感情の呼び出しには積み重ね(整合性?)が必要だが、「笑い」は一瞬で起こる?あまり上手く説明できないが、その辺にパロディが例外とされている理由がありそうに感じる。)
漫画原作でもなくパロディでもないドラマに非現実路線を用いてしまった時点で、(視聴者が一般的な姿勢で接する限りは)本作が今の時勢では受け入れられ難いことはそれなりに予測出来たことだと思う(企画の欄に「野島伸司」の名を連ねることによって最低限の保険はかけていたとは思うが)。個人的な関心は、製作側がどこまで確信的に行っていたのかというところにある。そこには何かしらの意図があったのではないか。
思い切って言ってしまえば、本作を語る際には韓国産ドラマ・「冬のソナタ」の存在が外せないと思うがどうなのだろうか。共通して前時代的なドラマツルギーをとっているだけでなく、「ソナタ」に対して「ワルツ」と、共に題名の一部に曲種名を用いている。ここまで重なってしまえば偶然の一致では済まされないだろう。
体系的な見方をした場合、乱暴に言って韓国産ドラマ・「冬のソナタ」は、過去に日本がより良いドラマ作りを模索する過程で通り過ぎた、ひとつの通過点であると位置づけられると思う。その通過点でしかない「冬のソナタ」が、懐古的な意味合いがあるとはいえ、日本で無視できないほどのブームとなっている現状がある。常に前へと進み続けるドラマ業界に身を置き、その最前線で身を削るような努力をしてきた人々にとっては、受け入れがたいものがあるかもしれない。それに対する応えとして本作品が製作されたのではないかと。
 具体的には、「冬のソナタ」式の方法論を踏襲した上でミステリやサスペンスといった新たな要素を加味し、前時代的な雰囲気を損なうことなく更なる洗練を極めた作品が「仔犬のワルツ」だったのではないかと思う。
調子に乗ってもっと適当なことを言ってしまえば、視聴率という形で評価を得ることは適わなかったかもしれないが、ドラマ史という大きな観点から考えた場合、世間の評価以上に意義のある作品だったのかもしれない。そういう意味では、製作側の人々にとっては作り上げることこそが本意であって、世間の評価とは裏腹に本人たちは満足しているのかもしれない。まあこの辺はまったくの空想なのだけど。
僕の空想が的外れかどうかは別としても、「仔犬のワルツ」と「冬のソナタ」が同時期に放映されているという事実は興味深いと思う。この二つのドラマを語ることができて、なおかつドラマ史について体系的知識のある人物に是非とも言及して貰いたい内容ではある。残念ながら僕には体系的知識がない。観る側の姿勢という点でも、このふたつの作品を比較して語ったならば面白い結論が導き出せそうな気もするが。