機動戦士ガンダムSEED DESTINY

類型的な物語展開を踏襲するのがガンダムシリーズの常。なので「ガンダム強奪」によって物語の幕があがるだろうことは予想出来た。意外だったのは今作においては地球連合(地球連邦)側が強奪する側に回ったということで、それは「ガンダムの名を冠したMSは地球連合(地球連邦)側の秘密兵器」というお約束が崩れたことを意味している。
機動戦士ガンダムSEED DESTINY』は前作から三年後の物語だそうだ。権威主義的な官僚体制が横行し、現場認識力に難点のある地球連合(地球連邦)とはいえども、数年の間にそうそう何度も大失態をやらかしてしまうのは幾らなんでも不自然。幾らなんでも頭が悪すぎる。その辺のバランスを考慮しての逆転設定だと考えることも出来るが。


厳密にいえば「ガンダム強奪」とは第二作目の『ゼータガンダム』に由来するモチーフ。意外なことに全てのはじまりであるファーストガンダムの第一話には「強奪」のニュアンスはない。以降、製作側はゼータによって付加された「敵方新兵器の奪取」という戦略的意味付けを当たり前のように引き継ぎ、観る側も当たり前のようにそれを受け入れていくことになるのだが、よく考えるとこれはおかしい。第二作目のゼータで用いられた独自の解釈(趣向)であった「強奪」がいつの間にかガンダムシリーズの類型として取り込まれてしまっていることになる。それとも、ガンダムシリーズのベースとなる諸設定は、ファーストとゼータ双方に求められるということなのか。
これを重箱の隅をつつくようなどうでもいい指摘だと思うなかれ。類型的なものを蔑ろにすることはすなわち、「強奪」モチーフへの拘りですら無意味なものとしてしまうことに繋がる。


しかしまあ、踏襲だとか拘りだとか聞こえはいいが、実際のところ製作側の都合のよい言い訳に利用されているようにしか思えずしっくりとこない。たとえばヒキの絵でコロニーや戦艦などの大型移動物を描写する際、前作から盛んにCGが用いられているようだが、これが酷い。技術的なことは全くわからないが、陰影や細部の描き込みが甘く(出来ず)、質感や重量感といったものを殆ど感じることができないCGの多用は絵面を安っぽいものとする。まるで生まれたての卵肌だ。湯上りつるつるお肌の戦艦から緊迫感など伝わってくるはずがない。そこだけ浮いてしまっている。CG使用は経費か製作効率どちらかの点で都合がよいのではないかと邪推する。まさかCG使用そのものに価値があると思っているわけではないだろう。限定使用されているのが益々怪しい。何にしても表現に拘りを持っているのならそんな横着をするはずがない。類型の踏襲に関しても同じことが言えそうだ。


前作から緩急自在のヒキとズームの使い分けや躍動感溢れる構図であったりと、MSの表現技法は格段に進歩していると思われるし、好き嫌いがわかれるとしてもキャラクターの造形には時代性を取り入れようとする努力がみられる。評価すべき点は数多くあるのだけに、要所要所に差し込まれる手抜きCGが気になってしょうがない。