暗黒童話(乙一)

jango2004-10-23

白木菜深は事故によって片目を失ってしまう。程なくして眼球の移植手術を受けるが、幻覚に襲われるようになる。眼球提供者が生前に観た風景が眼球の記憶として再生されているらしい。その回数は日増しに増えていく。事故のショックで一時的に記憶を失い、かつての明るく優秀であった姿など見る影もない。周囲から孤立していく菜深は、次第に眼球が見せる人生に惹かれていく。眼球提供者が命を落とすこととなった風景を「観た」菜深は、事件の起こった町を訪ねるのだが…。


乙一初の長編だそうだ。しかしこれは空想サイコホラー小説とでもいうべき作品なのか。断末魔の光景が眼球(網膜)に焼きつき、移植された人物を悩ませるなりして事件解決の糸口になるというのはよくある設定だが、本作はそれを土台にミスディレクションなどのミステリ要素が加味されている。「空想」としたのは犯人が禍々しい超常力を有する人物であるから。そのため何か黒々とした背徳的な雰囲気を感じさせる作品となっている。
超常の力によって被害者は死へと至る理から切り離されてしまう。だから首を切断されたり心臓に損傷を受けたりしない限りは、たとえ四肢全てを切り落とされても内臓を全て裏返しにされても死にはしない。そのままの姿で永遠に在り続けることになる。更に不思議なことに、被害者は絶望感であったり犯人に対する怨嗟といった負の感情を抱かない。犯人によって弄ばれる自分の不幸な運命をむしろ喜んで受け入れるような、恍惚感や多幸感といったものに支配されてしまう。たとえ四肢を切り刻まれた無残な姿となったとしても。


本作の面白さはこの異常設定にこそあるとみる。被害者の無残なあり様は、主観的な観点からは幸福の一形態であるといえなくもない。ただしそれは常識の範囲外に存在する「幸福」ではあるが。理解を超えたところにある「幸福」は常識の範囲内にある「恐怖」よりも格段におぞましい。人知の及ばぬ法則がまかり通る異世界に迷い込んだような居心地の悪さというか。これがまた絶妙なのだ。並の作家なら常識から抜け出せずに予定調和の「恐怖」になるか、抜け出せても単なる出鱈目で終わってしまうところだろう。ミステリ仕立てを目指すあまり制約に縛られ余計な演出を抱え込み、持ち前の切れ味を失ってしまっているようなところが本作には見受けられるが、乙一ならではの発想の斬新さというか天性のセンスを感じることが出来る。