機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第28話

椿三十郎ばりの逆手抜刀術が決め手となるあたり、超エース級であるキラとアスラン両人の実力はほぼ互角であったと見るべきなのだろう。逆手抜きは時間にしてコンマ数秒の短縮でしかないが、達人同士の対決ではそれが命取りになると。
この対決が黒澤明監督『椿三十郎』からの引用なのだとして勝手に話を進めるが、今のところ性能的限界の見えないMSにとって、逆手抜きをしたくらいで基本性能の向上した新型には対抗することが出来るのか疑問に思う。新型の大振りパンチに旧型のジャブがスピード負けすることすらあり得る。あのシャアですら「モビルスーツの性能の違いが戦力の決定的差でないことを教えてやる」と大口を叩きながら性能の差を埋める手段として搦め手を用いたわけで、ビームサーベルによる真っ向勝負では幾らなんでも分が悪すぎる。
実力の伯仲する二人ならなおのこと。不利な条件が少しくらい重なろうとも最新型の機体に搭乗するアスランの方が旧型機体のキラよりも有利に思える。勝敗を分けたのはキラの言葉により無視出来ない大きさに膨れ上がったアスランの中の「迷い」であり、小手先のビームサーベルさばきではない。そして、アスランがキラによって破壊されたのはセイバーガンダムだけではない。戦いの中、アスランの動揺をもっと強調すべきだったのではないか。今更言うことではないが、何故旧型のフリーダムガンダムが他を圧倒するのか、その強さの理由が視聴者にいまひとつ伝わりきれていないような気がする。その上純粋な剣術の競い合いでないところに『椿三十郎』の引用では、派手な見た目に惑わされてその奥底にあるものが益々見えなくなる。
究極のMS戦闘技術をMS版マーシャルアーツに求めることについても、肉体的能力に限界があるからこそマーシャルアーツが有用なのであって、日々性能の進化するMSにとってはおまけ程度のものとしか思えない。超近代兵器にチャンバラをさせるこの手の感覚は、宇宙戦争の決着を無理やりチャンバラ対決に落とし込む『スターウォーズ』と同様、アナクロニズムに美学を見出そうとする倒錯的なアプローチなのだろう。格好はいいがどこかチグハグな印象を受ける。

佳境の深みへ

意味不明の力説はいい加減にして今週の内容。今回、各人が行動基盤とする立場や信念が対比的に強調され、対立に繋がる構図が生生しいまでに浮き彫りとなっていた。
反戦を訴え孤軍奮闘するも、危機を救った相手からも邪魔者扱いされるキラ。自らの責任を果たすために復隊するも、軍人に徹し切りきれないアスラン。生きるためのリアリズムを貫き、縁あるオーブ軍、トダカ一佐さえその手にかけるシン。職務に私情を持ち込まず、大義なき戦いと知りつつ国のために人柱となるトダカ一佐(とオーブ軍将校たち)。取り返しのつかない過ちを前に、ただ泣き叫ぶことしか出来ないカガリ。報われない英雄行動、責任に付随するしがらみ、生き残るために他人を殺す業の深さ、大局を見通した上で選択する自重、無力な自分への絶望と、これまでとは比べものにならないほど重く凄惨な内容。
新EDには前作で戦死したキャラクターの姿も。そこに深刻な雰囲気は微塵もなく、穏やかで満ち足りたイメージ。これまでとは打って変わり落ち着いた曲調のEDテーマ。それだけに本編の印象がより深く際立って感じられる。