雑記

卒業に関することについて様々な意見が交わされているようですが、以前から思うところもあり色々と考えさせられました。後出しジャンケンのようで申し訳ないのですが、たまには思うところをつらつらと書いてみることにします。

  1. 新たな卒業者を生み出さないために(不本意ながらも)卒業セレモニーに参加しない
  2. 安倍個人を尊重することを第一として(不本意ながらも)卒業ビジネスを受け入れる

大雑把な分別(これ以外にも軸が存在するのでしょうが、とりあえずふたつ)。この相反するふたつの考えを結ぶ線上に個々の立ち位置があるのでしょう。「断固として卒業ビジネスは受け入れられない!」という人は①100:②0。「卒業ビジネスには賛同しきれないが、卒業セレモニーだけには立ち会いたい!」という人は①60:②40、といった具合に。ファンである以上は、それがどのような立ち位置であったとしても尊重されるべきです。ただ自分の採った言動がどういうことであるのか。最低限自覚的であるという条件付きです。
モー神通信。のTKさんは最大限に自覚的です。自分の言動がどういうことを意味しているのか。また、どういった反応を引き起こすのかを良く理解されています。たとえTKさんの考えに共感することが出来なくても、彼の態度には敬意を払うことが出来るのではないでしょうか。TKさんの自覚的な悪役として振舞いは罪深いことです。しかし自らの振る舞い(とそれが引き起こすこと)に無自覚な人間も同様(かそれ以上)に、罪深いことであると僕には思えるのです。
モーニング娘。の素晴らしさを語る手段として、感情論という技法を採ることに疑問を感じたことはありません。熱い心情が感じられる文章には感銘を受けるし、実際僕も用いることもあります。ただサイトの性質とも絡んでくる問題なのですが、僕を含め、感情論を用いた表現に慣れてしまいがちですよね。本来は使い分けが必要で、議論のなかでは有効ではありません。必要とされるのは自分の考えを筋道立てて説明することであって、「理屈じゃない」と激情的になってしまっては意見をすり合わせることすらままなりません。どちらが重視されるか以前に、理屈と感情が相容れないのは道理。意見を異にする相手とやり合うためには、何よりも理知的であることが必要なのですから。
TKさんの問題提起は有意義です。個人的には、自らの行為や考え方を見直す良い機会となりました。良かれと思った行いが不本意な結果を引き起こしてはいないか。その騒ぎの中心がモーニング娘。である必要性があったのか。自分がどの方向を向いて意見を発していたのか、などなど。再確認させられました。視線の先には、例外なくモーニング娘。がいるべきなのですが、恥ずかしい話、無自覚にあらぬ方向を向いてしまっていることがよくあるのですよ。