ハロプロキッズ

キッズに違和感を覚える要因は他でもない、地に足が着いていない。無理に背伸びをして「アイドル」を演じているように感じるからだ。完成度を期待するには未熟すぎるし、親しみを感じるには思い入れが少なすぎる。アイドルの体裁さえ取り繕えば受け入れられるというわけではない。
キーワードは「低年齢」と「アイドル」。ロリコンとは別のところで、露骨な計算を勘ぐりたくなる。かなり強引な押し付けがあるのではないか。たとえばハロモニ内で特定メンバーにキャラをあてがうことも、ファン受けを考えた上での逆算があることは間違いない(チャーミーは「ぶりっ子」と「アイドル」か)。ハロモニキャラにはまだ許容の余地がある。しかしキッズはどうなのか。
キッズのあり方は受け手の許容力に頼る部分が多いように思われる。現時点では仕方のないことなのだろうが、それはハロプロに蔓延する悪しき予定調和を意識させ、あまり良い印象を与えない。「よろしく!センパイ」もモーニング娘。におけるにアサヤン的観点から見れば酷く予定調和的だ。淡々とキッズの受け入れに必要なものをファンへと供給しているにすぎない。通過儀礼のようなものだ。たとえそれが真実の記録であったとしても何ら変わるものではなく、多くの受け手が「よろしく!センパイ」に同様のことを望んでいる事実もそれを裏付けている。そもそもキッズがモーニング娘。の妹分である以上、その運命からは逃れらない。全てが作り手と受け手、両者の暗黙の了解のもとで進んでいるこの現状。もしかすると、キッズとは誰でも良かったのかもしれない。
僕がハロプロコンサートを好きになれない理由も実はその辺にある。曲順はともかくMCも台本どおり。型に嵌ったルーティンワークを繰り返すだけだという。何処に行っても画一な商品提供が約束されている。以前目にしたDVDにはコンサートの舞台裏が収録されていて、そこに映し出されたものに愕然とした記憶がある。歌唱指導にとどまらず客煽りまでもモーニング娘。に指導するつんくの姿。MCにしても客煽りにしても、それがモーニング娘。の本心から発せられているわけではないことは重々了承していたつもりだったが、これは流石に驚いた。極めて即物的なことに、ハロプロモーニング娘。が全くの操り人形であることを隠さない。それはファンのあり方を狭めるものではないか。騙され夢見る余地を奪うにも等しい行為だと思う。ハロプロコンサート全てを否定するわけではないが、限定された儀式的な楽しみ方しか出来ないのではないかと思う。
しかしキッズに違和感を覚えていられるのも時間の問題でしかない。時間と共にキッズは完成度を、こちらは思い入れを増していく。そもそもモーニング娘。の妹分というだけで敗北している。これはアイドル性や音楽性とも別の、いわば人情の問題だ。事務所側の戦略を否定することは簡単でも、キッズの頑張っている姿自体を否定し続けるのは難しい。キッズの活動を全て追いかけた上で尚、否定し続ける人がいるとしたら、ある意味尊敬に値する人物なのではないかと思うのだが。