乱歩R 最終話

岸部一徳独特の存在感と江戸川乱歩の一種異様な作品世界との見事な融合を見た。堤幸彦のようなスタイリッシュな演出も乱歩世界の構築に一役かっていたように思う。殺人が表すものは怨恨の類ではなく、たとえそれが自分勝手なものであったとしても、対象への愛情であったという不条理。一時の気の迷いではなく、確固たる信念に基づく狂気。反正義ではなく住み分けとしての悪者。単なる社会内秩序の逸脱には収まらない。こういった異常精神世界には背徳的な魅力がある。わだかまりを残す終わり方も良い。恐らく明智は道を踏み外していくのだろう。読者をあざ笑うかのような期待の裏切り方も乱歩流。死体をデスプレイするという題材は『沙粧妙子−最後の事件−』を思い起こす。思えばあれも乱歩オマージュのドラマだったのかな。
相変わらず岸部一徳の醸し出す不気味な存在感は凄い。得がたい存在だと思う。彼を前に、演技の技量など些細なことに思えてしまうから不思議だ。強烈な個性は全てを消し飛ばす。本上まなみ大滝秀治も悪くはない。こちらも等身大の個性を発揮していた。何より藤井隆のように役に振り回されていないところが良い。藤井隆に恨みはないが、彼の存在が物語世界の完成を阻害していたように感じた。
最終回というので観てみたが、食わず嫌いをしていたかと少し後悔。当初、江戸川乱歩原作のドラマがはじまるということで気にはしていたのだが、某テレビ雑誌の記事を読み意欲を削がれてしまった。まず主演の藤井隆に難色。加えて、アレンジされたストーリーに消沈。第一話『人間椅子』のあらすじを読む限り、「人間椅子」から感じるイメージだけを頼りに物語を作り上げたような印象を受けた。原作で表現されていた異質な異常性(殺人なし)が猟奇殺人へと方向修正され、ラストの仕掛けは完全に取り下げ。これでは全くの別物だ。ドラマ開始に時期同じくして、「新潮文庫の100冊」と書かれた黄色の帯の巻かれた『江戸川乱歩傑作選』を読み終えていた。それだけに乱歩R版『人間椅子』に感じた違和感は強かった。
思えば石川梨華のゲスト出演につられて観た際も、岸部一徳の存在と物語世界に惹かれるものを感じていた。石川(と藤井)の演技にばかり意識が向いていたようだ。物語を観ずに何を観ていたのだという話。自己嫌悪。