仔犬のワルツ 第一話

脱げ落ちていた*1ガラスの靴を手がかりに人探し。「シンデレラ」や「ガラスの靴」といった直接的な台詞もあり、シンデレラストーリーであることを強調していた。現時点では薄幸少女の成功物語をなぞっているように見えるが、野島伸司企画とのことで油断することは出来ない。観る側の期待を裏切る仕掛けがそこかしこに仕込まれているように思える。それは過度な現実演出というべきか。
たとえば「シンデレラ」に不可欠な要素である「いじめ」。当ドラマもその例に漏れず、主人公が陰湿ないじめを受ける場面があるが、残念ながらあまり観る者の期待に応えてくれてはいない。薄幸の主人公葉音は孤児院出身の盲目のマッサージ師。不幸な生い立ちが影響してか自閉気味で、同僚はもちろん客ともコミュニケーションを取る事を避けている。それが二重に災いとなり、葉音は職場を追われる羽目となるのだが、その一連の出来事から生じる観る側の感情の落としどころが微妙に塞がれていてしっくりとこない。端的にいって、葉音にも問題があるように描かれているので遣る瀬が無いのだ。受けた仕打ちを筋道立てて非難する訳でもなく、騒動の理由を上司(?)に整然と説明することも出来ず、ただ駄々っ子の如く暴れることでしか意思表示の出来ない葉音に同情の余地はあまり多くはない。
随所に配置された生々しいまでの現実感を呼び起こす演出が、耽美な御伽話世界に浸ることを妨げているように感じる。夜な夜な孤児院に忍び込みピアノを弾くことや、お気に入りの仔犬に会うためにペットショップに通いつめるといった葉音の行動様式も、同様の理由から奇行にしか思えない節も。計算済みの仕掛けなのだろうが、あまり気持ちのいいものではないというのが個人的な印象。非現実的なベタ演出で盛り上げた期待を、現実以上に苛烈な現実演出によって裏切ることで何を表現しようとしているのか。その辺に物語構造の核心がありそうな気がする。
水無月家の面々によってピアノの才能を見出された者たちも、暴走族であったりスリの常習者であったり、性格破綻者であったりと一人の例外なく社会不適合者。葉音を含め、それを型に嵌らない才能に付随する無垢や純粋さの裏返しとして処理するのか、はたまた才能の代価としての欠損としてしまうのかまだわからないが、予断を許さない不穏当な展開をほのめかしていることだけはなんとなくわかる。

*1:正確にはガラス製のアクセサリーの付いた靴