仔犬のワルツ 第五話

水無月器一ぺア紹介の回。例によってパートナーを交えて母子面談をするも、器一に至っては他の兄弟とは異なり、母親に特別な感慨を抱いている様子は見られず肩透かし。母親への関心は、鍵二との関係性以外にはありそうにない。幼少時、器一が仕掛けた悪戯(ピアノの鍵盤に鋲を貼る)をものともせず、鍵二は指を血まみれにしながら曲を弾ききった、という出来事があった。狂信的なまでにピアノへと取り組む鍵二の姿に圧倒された器一は、以来、鍵二を「神」と崇めるまでに。
 一方、パートナーの鴻池聖香は先天的な心臓疾患(?)を抱えていて、感情を昂ぶらせるなど、心臓への負担が即、死の危険を招いてしまう体。無感情であることが余儀なくされ、恋愛などもってのほか。人並みの幸せとは無縁の人生。命がけでピアノに取り組むパートナーに、器一は畏敬する鍵二の姿を重ね合わせると。
毎回繰り広げられる前時代的なシゴキを連想させるピアノ試験。一様に陰惨な雰囲気を強調する演出以上のものではなく(だから主要メンバーが誰一人として脱落しない)、登場人物の独白を追うこと以外、何でもありの客寄せパンダ的な内容は悉く無視してきたのだが、今回はさすがに引っかかった。一枚で全員分の価値があるというジョーカーの存在。不公平だとか、勝負の意味合いが音楽性でもなければパフォーマンスの競い合いにすら求められなくなる、なんていう、試験そのものの意義を問う正面突破的な疑問はドラマの屋台骨すら崩しかねないのでおとなしく気がつかない振りをする。この場合、前後の文脈や法則を無視したご都合主義大歓迎の観点に立って、従順に作り手の意図を推測することが正しい視聴者のあり方。
 さて、ジョーカーの万能性から逆算して考えれば、今回の試験の意義は、死刑囚によって選抜メンバーの中から天使の適性を持つ者を選び出すことにあったと取れる。他のメンバーの合否は、各自が持つ運と機転に任せて放ったらかし(←つまりどうでもいい)。天使は鍵二を再生(悪魔性を呼び覚ます?)させるための生け贄。
谷啓演じるベテラン刑事が、ベテランとしての経験則から導き出される自分の「勘」に信頼を置きつつも、根本部分では組織の一員として愚直なまでに規則・原則主義に縛られている。この辺に、このドラマが採る二重構造(相続争い/鍵二再生)が反映されているように思えて興味深い。芯也に面と向かって犯人ではないと断言してしまう一方で、死刑囚とのやり取りによって導き出された犯人像に当てはまる人物が、芯也以外には考えられないという矛盾。犯人は分裂症という推測まで立てているにもかかわらずも。規則・原則主義に則るあまり、娘の訴えを歯牙にも掛けなかった挙句、娘を失踪させてしまった過去を清算する意味合いも込めて、大本の流れと相似関係をなす形でドラマの骨組み形成に絡んでくるように思うのだけど。