はてな戦国時代

唐突だけど、はてなのキーワードシステムは非常に使い勝手がいい。辞書的な側面も有用だとは思うが、やはり何といっても、ある話題について言及している日記を探し出すことが出来る網羅的な側面だ。その使い勝手は半端ではない。恒常的に特定のジャンルについて言及している日記を探し出したいのであれば、その手のリンク集を利用すればよい。しかし突発的な事件に関する言及(たとえば窪塚氏の落下事件など)の場合はどうすればいいのだろう?窪塚ファンリンク集なんてあるのだろうか?その点、はてなのキーワードシステムは抜かりがない。要望に合わせ、ピンポイントに探し出すことが出来る。個人的な趣味・趣向の壁を越え、様々なスタンスによる多様な語り口に出会えることも魅力のひとつとしてある。
しかし不満もないわけはなく、キーワードリンクをたどってみたら、なぜかその言葉だけが脈絡なくぽつんと書かれているだけだった、とか、逆に、不用意に用いた言葉に思わぬアクセスが集中して戸惑ってしまった、とか。後者はリンクするキーワードの管理をしっかりと行えば避けられる事態。前者の場合、網羅的な有用性は見出せないとは思うが、だからといって辞書的な側面まで否定することは出来ないと思う。ブラウザから気軽に更新出来る「はてなダイアリー」の特性に絡むことで、システムに内在する問題。
ただ、「話題のキーワードさえ書いておけばある程度のアクセスが集まってしまう」という現象の本質はしっかりと理解しておくべきだと思う。そのアクセスの殆どは「ある話題について言及している任意の日記」について向けられているもので、基本的には個別の日記に対する評価とは切り離して考えるべきだ。そこを見誤るとおかしなことになる。アクセスに意味を求め過ぎると、自分の文章に対する客観的な評価が出来なくなるかもしれないし(過大評価)、逆に意味を求めなければ、システムをアクセス集めの数字ゲームとして利用することへの抵抗が失われてしまうだろう。
 「アクセス数は水物」とはよく聞くが、「はてなダイアリー」ではやり方次第で元栓の壊れた蛇口のようにすることが(ある程度は)可能なのだ。
とはいえ、公開日記は人に見られてナンボのところがあると思うので、自分の日記がなるべく多くの人の目に触れるようにと、また、自らのモチベーションを高めるために、「はてなダイアリー」のシステムを利用することは、ユーザーの権利として解釈される部分もあると思う。他人に迷惑をかけない限り、僕は遊び心を否定しない。厳格に自らを律することに意義がないとはいわないが、楽しくはないかもしれない。はてなに日記を書く意欲すら失わせてしまうのなら、時には泡沫アクセスですら前向きに捉える強さも必要であると考える。実際、アクセスが沢山あってもそれが全てネガティブアクセスだと思ったらやっていられない。要は捉え方次第。
今度は唐突に「はてなアンテナ」の話になるが、これは前々から気になっていたのだが、ある意味、「はてなアンテナ」には万人による万人のサイト評価システムといった側面があると思う。それも気軽な。別段、サイト持ちでなくとも、htmlの知識がなくとも、容易に扱うことが出来る敷居の低さがポイント。もちろん更新情報捕捉アンテナとしてユーザーに実用性ももたらしている。現在、「アンテナ被登録数」はサイト評価の目安のひとつとして機能していて、その信頼性は「はてなユーザー」が増えれば増えるほどに高まっていくだろう。
 自分のサイトが他人様のアンテナに登録されることは、それが全て好意的な感情に結びついているものではないとわかっていても、嬉しい。ただ、アンテナに登録されるということは同時に、後に外されてしまうかもしれないという不安も生み出す。登録については無理やりにでも前向きに捉えることが可能だが、外されてしまうことについてはそうはいかない。自分のサイトに対して悪い意味でも関心がなくなったといわれたも同然で、ひいては自身の人格を否定されたかにも思える。正直ショックを隠せない。面と向かって面白くないといわれるよりも数倍堪える。正直外して欲しくない。
しかし無料ユーザーの場合、アンテナ登録サイト数に200の上限が設けられているので、そんな我がままもいえないだろう。これは限られたアンテナ登録枠をめぐる争いなのだ。読むに値しないと判断されたサイトは、新たなサイトのために場所を空けなければならない。そこに同情の入り込む余地はない。それがはてなのもたらしたルール。それが万人による万人のサイト評価システム。意識せずとも、はてなが現れる以前と以後では世界のあり方が変わってしまったのだ。先手必勝、殺れる前に殺れとの極意から、自分のサイトが外される前に相手のサイトを外せ!自分のサイトが登録される前に、素早く相手のサイトを外す! ――ここは登録されるか外されるか、一瞬も気が抜けない殺伐とした世界なのだから