オタク学入門(岡田斗司夫)

はじめに断っておくが、あわよくば岡田氏を批判してやろうと思って読んだ。以前読んだサイゾーでの対談記事やたまに再放送している『BS漫画夜話』など、僕の目に付くところに出てくる氏の振る舞いが鼻についてしょうがなかったので。世の風がオタクに冷たくなってきているとみるや、「自分はオタクではないマニアだ」と逃げを決め込もうとする節操のない様子や(オタキングなのに)、オタク知識やオタク見識を鼻にかけ、単純で表層的な楽しみ方をする人間を見下すような態度。幼児性フルスロットルのおデブさん。ちょっと好きになれない。
とはいえ、案の定というか意外にもというか、本書はかなり面白く読み進むことが出来た。オタク史(?)講座や「オタクの*1三つの眼」として作品を様々な切り口で読み解く楽しさを事細かく説いた内容は大変興味深かった。筆致もなかなか愉快で惹き込ませるものがある。
本書には『東大「オタク文化論ゼミ」公認テキスト』という惹句がついている。実際に使用しているかは怪しいが(公認って何だ?)、まあ期待を裏切ることはないと思う(←偉そう)。オタクHOW TO本としてはよく出来ている。オタク素養のある人ならわかるはずだ、などといった強引なやり方ではなく、対象物を観たことがない人でも理解出来るようにきちんと論理立ててその見所を説明している。気が付けば『五星戦隊ダイレンジャー』に興味を抱いてしまっている自分がいたりする。以下、特に感心した箇所、印象に残った箇所をかいつまんで挙げる。

  • ルパン三世 カリオストロの城』のオープニング(ルパンと次元が改造フィアットでのんびりと旅路行く一連のシーン)。画面構成やセル画の使用法といった技術的な観点から分析し、低予算(少ない絵・少ない動き)であるがゆえに際立つ宮崎演出の力量を解説。
  • 世界的な配給規模を持つがゆえに経費節減効果が異様に高く、そのため無駄な場面の存在が一切許されず、どうしても画一化された*2構成にならざるを得ないハリウッド映画 。法則性から製作側の試みを推測し、その成否を考察しながら観る如何にもオタクらしい鑑賞法を図解付き解説。(以上、「匠」の眼) ―眼から鱗が落ちる思い。
  • 四大週刊少年マンガ雑誌(週刊ジャンプ・週刊マガジン・週刊サンデー・週刊チャンピオン)間で行われてきた四つ巴の勢力抗争。流行や景気といった時代背景と各誌が伝統的に持つ*3編集方針を複合的に踏まえた上でどのように繰り広げられてきたのか。その移り変わりを見取り図付きで解説。(「通」の眼) ―小学生時分から変わらずジャンプ読者(サンデー・マガジンはたまに立ち読み)である僕にとっては懐かしくて堪らないものがある。
  • 同一設定の焼き直しによって続くテレビシリーズ・『○×戦隊△○レンジャー』。単なる子供騙しのマンネリ番組ではなく、類型的な基本設定・物語展開(世界)を踏襲つつ、独自の解釈や時代性(趣向)を取り入れた番組であると解釈。「世界と趣向」によって成り立つ古典歌舞伎(?)と同じパターン。『機動戦士ガンダム』・『新世紀エヴァンゲリオン』などに代表されるロボットアニメにもこのことは当てはまる。(「粋」の眼)
  • 「オタク」という呼称は二人称「あなた」を意味する「おたく」であり、大ヒット作・『超時空要塞マクロス』を製作して一躍名を馳せたクリエーターたちが使い始めたことが起源。転じてオタク自身を指す言葉となる。

とまあ、本書はオタクに纏わる事柄をアカデミックな観点で紹介した、どこに出しても恥ずかしくない作りとなっている。そこには、案の定というか意外にもというか、氏の望むオタクのあり方(=格好のいい自分像)が透けて見える。その証拠に、本書ではオタクを語る上で欠かせないキーワード・「萌え」については一言も触れられていない。つまりは、都合の(一般受けの)悪い事柄はあえて取り上げず都合の(一般受けの)良い事柄ばかりを提示して、オタクの一般像を故意に上方修正しようとする意図が感じられるのだ。
本書の後半部分ではメインカルチャーやらカウンターカルチャーサブカルチャーを引き合いに出し、オタク文化こそが日本文化の正統後継者であると大風呂敷を広げている。その是非はともかく、氏の口からそのような主張が出るとは開いた口がふさがらない。現状のオタク文化そのままに、メインカルチャーに取って代わろうという意気込みであるなら文句はない。しかしオタク文化の暗部をなかったことにするのであれば話は違ってくる。そもそもオタク文化内でその優劣を規定するようなその態度は、氏が本書の中で指摘しているサブカルチャーオタク文化を決して認めようとしないメインカルチャーの居丈高さと何ら変わることがない。もっと言えば、暗部を削ぎ落としたものがまだオタク文化といえるのか。玉石混淆であるからこそオタク文化であって、メインカルチャーに倣って取捨選択したものは全くの別物といえるだろう。オタク文化を心から誇りに思うがゆえの物言いではなく、氏自身の個人的な自己顕示欲が根底にあるのではないか。
筆致がおどけているためにそれがネタなのか本心なのか、本書だけでは判断し難い部分はある。しかし氏の『BS漫画夜話』での振舞いを見る限りは、個人の見栄が何ものにも先駆けて行動原理としてあることは間違いないだろう。収録後、視聴者から送られきたファックスの稚拙さを毎回のように馬鹿にしていたという話もそれを裏付ける(←事実未確認だけど)。
岡田氏に限った話ではないが、自らの大人げなさや落ち度は棚上げで、所属する集団の一般評価を事実以上に吹聴してみたり、集団内の他者を独善的に規定するなどして、自らの価値に下駄を履かせようとする俗物根性はちょっとどうかと思いますね。そういった身勝手な行為がオタクらしいといえばオタクらしいのだけど。

*1:「粋」の眼、「匠」の眼、「通」の眼

*2:三十分目に主人公をラストまで向かわせる動機付けが行われる、四十五分目に状況の変化が起きる、六十分目に転回点を迎える・・・etc

*3:ジャンプ−「競争制」、マガジン−「プロデューサー制」、サンデー「作家本位制」、チャンピオン−「我道」