読書日記

死体洗いのアルバイト(坂木俊公)

現代医療に纏わる迷信・珍常識の類を合理的・経験的に検証した教養本(サブカル本)。筆者は現役精神科医で『医学都市伝説』というサイトの運営者。『医学都市伝説』を単行本化したものが本書だそうだ。
筆者の有する医学知識と医者としての経験に基づいた見識から、本書の題名にあるような噂や迷信についてひとつひとつ合理的な説明を加え、更にはそれが信じられるようになった背景までも考察。軽妙かつウイットに富んで親しみのある文体で綴り、含蓄のある言葉で締め括る、読んでいて楽しい文章。いい意味でWEBのスタイルが活字化されているように感じた。サイトの単行本化なのであたり前なのだが。

塗仏の宴(京極夏彦

『宴の支度』と『宴の始末』の上下巻あわせて2000頁を超える大作(文庫版)。明確な区切りが殆ど無く分量の多い京極作品は読破に苦労する。本作では例外的に、『宴の支度』は妖怪の名の付いた幾つかの章から構成され、『宴の始末』では頻繁に視点変更が繰り返されるという親切(?)設計。それをいいことに合間合間で息抜きをするととんでもなく月日が経つ。読みはじめから読み終わりまで約二ヶ月ってどうなのだろう。まあ片手間ってことはあるがしかし…。
物語全体を通して語られるテーマは「自己」。人は記憶をより所として「自分」という存在を認識するが、では催眠術などによって記憶を改竄された人間はどうなるのか。京極堂は人の本質とは「精神」ではなく、その入れ物「肉体」にこそあると言う。…いや面白い。SFなどでは「老化した肉体は廃棄し新しいクローンに記憶を移す。この繰り返しで永遠の生命」といった設定をよく見かけるが、どこか胡散臭いものを感じていた。それは所詮、他人との関係や社会といった枠組みの中での「自分という存在」の存続であって、今現在意識を持って生命活動を営んでいる「自分」は確実に断絶することになる。要するに「オリジナル」を置き去りにした「見せ掛けの永遠の生命」でしかない。他者との相対によって成立する「永遠の生命」は、厳密に言って「自己が永遠に存在し続ける」こととは別物だと思う。「肉体」が本質であればこういった誤魔化しは一切通用しない。SF的な飛躍であったものが半ば常識であるかのように普及しすぎていて、当たり前のことが新説であるかのように思えてしまうことが問題といえば問題だ。