「生首に聞いてみろ」法月綸太郎

石膏像の首が切り取られ何者かによって盗まれる。彫刻家の川島伊作が病身を押して製作したもので、モデルは娘の江知佳。川島の回顧展を画策する宇佐見は事件を表沙汰にしたくない。不安を拭いきれない親族は、探偵・法月綸太郎に相談を持ち掛ける。


このミステリーがすごい!」(2005年国内編)第一位受賞作品。2002年の受賞作『半落ち』は、ミステリよりも人間ドラマに重きを置いた作品だった。一方で、本作品はミステリであることを強く意識していると感じる。「探偵」である主人公が時折り見せる「探偵らしい」振る舞いや、物語としての完成度よりも読者への謎かけ(と薀蓄披露)の優先と、それは作品の節々から伺うことが出来る。それが揺り戻しなのか、本来的なミステリの手法なのか、僕にはわからない。ただ決まり事を強要されているようですっきりとしない。
通読した感想として、ひとつの作品として練りきれていないと感じた。構想段階であれもこれもと欲張り、アイデアの取捨選択や筋立ての突き詰めを疎かにした挙句、なし崩し的に形を与えたという印象。当たり前のことだが、推理小説とはマッチポンプである。難攻不落であるかのようにでっち上げたトリックを、主人公である探偵や刑事にこれ見よがしに解かせてみせる。言ってしまえばそれだけのことだ。だからこそ、過程が重要であると考える。事件解決へと迫る糸口の提示の仕方とそれらの紡ぎ方、またそれに伴う物語展開と付随する人間ドラマの描き方、そこに作者の腕の見せ所がある。さて本作品はどうか。中盤でどう考えてもトンデモ解釈としか思えない宇佐美の口車に惑わされる綸太郎(後にトンデモ解釈に惑わされたとの開き直りあり)、終盤で事件の真相をその口で説明してしまう綸太郎と、一人相撲が目白押し。これでは推理小説というよりも相撲小説といった方が適切かもしれない。
主人公である綸太郎に魅力を感じない。父親は警視庁の警視で、その立場を利用して様々な恩恵を授かったり捜査の足を引っ張ったりする設定。つまりはストイックさとは無縁の坊ちゃん探偵なのだ。せめて警察関係者は兄弟や仲の良い友人とするなどして、そこに利害関係を持ち込むべきだと思う。これではまるで親子で繰り広げる探偵ごっこにしか見えないのでは、と余計な心配をしてしまう。そんな主人公が作者名と同名なのだから、そろそろ傾げた首が痛くなる。


毎年「このミス」の上位入賞作品は出来るだけ読むようにしている。自分の狭い読書範囲を何とか広げようと考えているのだが、残念ながら今年も広がらなかった。
貶してばかりいるが、本作は本作で需要はあるとは思う。問題は、なぜ本作を「このミス」の一位へと祭り上げてしまったのかということにある。褒め殺しか何かなのか。
子供の頃は読書嫌いだった。感想文を書けと押し付けられる本の殆どは、教養を身につけるため面白さが度外視されたものであったし、ベストセラーと呼ばれる本を手に取れば、本作のようなものだったように思う。余計なことばかりごちゃごちゃ書いていて肝心の辻褄が合っていない。子供心にそう感じて、本てつまらないなと思ったことを覚えている。ミステリに興味を持ち、はじめて手にした本が本作であった人が、僕のような思いを味わうことがなければよいが。