松浦の恋愛騒動

松浦の恋愛報道の裏側からは、ゴシップ誌との結託やそれに基づく都合のよいファン心理・大衆心理の誘導といった、あまり感心できない事情が読み取れるような気がして少々不愉快。「脱・アイドル化」を進めているこの時期に「恋愛報道」→「事務所の明確な否定なし」という流れはどう考えても出来過ぎている。仮にこの騒動が事務所主導の「脱・アイドル化」路線の奥の手(禁じ手)ではなかったとしても、ゴシップ記事が事務所側の思惑にここまで沿ってしまっては、これを偶然として見過ごすことは難しいだろう。
松浦の不注意からアイドルとして好ましくない実生活を暴露されたというのが真相であるなら、罪は軽い。アイドルとはいえ彼女も年頃の女の子。人並みに恋愛もしたいだろう。アイドルとしての節度をわきまえた上であるなら、それほど熱心な松浦ファンではない僕としては、無理をしてでも黙認したいと思う。しかし、これが昨今の松浦を取り巻く「脱・アイドル化」路線の一環として企てたものであるなら、ちょっと容認し難い。
松浦ほどの素質であれば、アイドルの垣根を越えて活躍することも可能かもしれない。実際、そうなりつつあるように見える。ただ納得いかないのは、どっちつかずの打算的なやり方で移行を狙っているように思えるところ。被害者としての体裁をとる今回の騒動もそうであるし、楽曲的にみても表面上はノリの良さを封印した大人びたバラードで「脱・アイドル」を演出しつつも、その実、歌詞では依然として惚れた腫れたの擬似恋愛路線を維持している。人気や売り上げをヘッジしているように僕には思われる。浜崎あゆみに象徴される歌姫への転身を狙っているのなら、歌詞も恋愛絡みから自意識絡みへと移行させるべきではないのか。そこから伺えるのは、明確な覚悟のみえない「あわよくば」の魂胆である。

☆☆

ここで思い至るのが物分りのよいハロプロファンの存在。フットサルやコントなどの本業を離れた活躍まで応援しているようだが、「何をするか」ではなく本人たちが抱く充実感や好悪感情に応援の主軸を置いてしまうと困ったことになるのでは。この恋愛騒動を例とすれば、松浦の幸せに立脚しなければならなくなる。更にこの先、アイドルからオートレーサーへと転身した元SMAP森且行のように、アイドルからフットサル選手への転職を希望する者が出たならどうするのか。今は突拍子のない話に聞こえるかもしれないが、ハロプロの低迷が続くようであればどうなるか分からない。僕は我が侭なので自分の首を絞めるような真似はしたくはない。アイドルはアイドルとしての大成を目指して欲しいと思っている。

蛇足

イメージ戦略と歌詞での擬似恋愛路線の矛盾は後藤真希にも当てはまる。躍動感に溢れ力強く自立したイメージを感じさせる後藤だが、歌詞に注意すればその殆どが恋人に依存する弱弱しい女性像を表現したものである。そこに限界がみえるような気がするが。