活かされる者、損なわれる者

『ああぁ いいな!』を歌うW(ダブルユー)を見て、彼女たちの歌唱力の高さに今更ながら驚いている。だいぶ前のミュージックステーションでのこと、ベリーズ工房が歌い終えるとその列を割るようにしてW(ダブルユー)が出てくるという演出。曲の冒頭部分が自己紹介的であることも相まって、まるでベリーズ工房を露払いとするかのような貫禄の登場だった。その上あの歌唱力なのだから否が応でも印象に残る。


驚いたのは意外だったからで、僕は今までW(ダブルユー)に対して「歌唱力が高い」という認識を抱いてはいなかった。漠然と歌が上手いということは知っていたが「歌唱力が高い」とまでは結びついてはいなかった。自分の落ち度もあるのだが、この辺を突き詰めて考えていくと現行モーニング娘。の構造的な欠陥が見えてくる。『女子かしまし物語』が象徴的でわかり易い。かの曲は各メンバーの「長所」ではなく「キャラ」のアピールに重点が置かれている。現在のモーニング娘。にいると、どうしてもキャラ主体の色物に思えて長所が見えなくなる。


そろそろ万人受け狙いの方針は改めるべきなのかもしれない。つんく楽曲とモーニング娘。の個性とで何を作り出すことが出来るかもう一度検討してみる時期だと思う。いつも能天気なことばかり書いている自分が言っても説得力はないが、「美勇伝」や「後浦なつみ」、「メンバー増員」関連におけるつんくのあまりの信頼のされなさ具合には涙が出くる。事態が深刻であることが伝わってくる。どうのようなやり方を採ろうとも以前のようにはCDが売れない時代に来ているのだから、アイドルオタクでも音楽オタクでもなんでもいいので局地的であっても高い評価を得られるものを目指してみるのも一考だ。初期のモーニング娘。はそういう存在だったのだから。いずれにしても、どっちつかずの中途半端ではいずれ誰からも見向きもされなくなる可能性がある。ポップジャムでのつんくの調子のいい振る舞いが近頃のつんくワークにだぶって見えて仕方がない。


モーニング娘。から卒業したメンバーにはソロとして成功している者もいればそうでない者もいる。その理由を当人の力量や事務所側の戦略やさじ加減といったものに求めがちだが、本当の理由はモーニング娘。という集団の中で活かされる者と損なわれる者との違いにあるのではないかという気がする。意外にもW(ダブルユー)は後者だったのかもしれないと思えている。