続・色々と取り留めのないこと

アクセス論のようなものが思わぬ広がりを見せているのは、サイトの管理人にとって身近な問題だからなのだろうね。それがどんなにとんちんかんであったとしても、自らの経験則から導き出したものには必ず実感が伴う。だからこそ論を交えるに値するのだろう。逆にいえば、実感を伴わずに理論だけが先立って構築されたものは空虚に思える。申し訳ないが、前回通りすがりとして書き込まれた人の文章がいい例だと思う。というか、商業ベースがどうこうといった話からサイトの運営方針への流れには論理の飛躍が感じられるのでまあどうなんだという話。とにかく、上っ面だけの議論は大概空々しいものだ。
そして、なまじ身近な問題として実感が伴うだけに、それぞれの拘りや信念、理想(反理想)として引っかかるところは人の数だけ存在する。ある文章の論旨や趣旨といったものを半ば無視する形で、枝葉末節の部分から脱線する形で広がりを見せるのも無理のないことかなとも思う。


そういった前置きを踏まえた上で、一週間以上も経った後でモー神通信。さんの文章を掘り返してみる。

後浦なつみクレオパトラ鬘の例にも見られる通り、どうも私には最近のつんく♂の不調は、大衆におもねった結果ではなく、要するにその大衆感覚を感知するレーダーが鈍磨して「スベってる」ということなんじゃないかと思うのです。あとはもっと単純に昔に比べて音楽の制作に時間をかけていない(鈴木Daichiの多用から推測)ことに起因するのではないかと。

例えば『LOVEマシーン』があれだけヒットしたのは、あの曲が音楽的な作り込みや、鈴木あみに敗北した歴史や、ごっちんの加入や、そういった複雑多様な背景を持ちながらも、結局はそれらを、「なんか楽しい」とか「聞けば元気になれる」といったとてもシンプルな魅力に変換することができたからだと私は考えていて(楽曲的要素だけでヒットしたならダンス☆マンのアルバムはもっと売れている)、マスを志向するのであればわかりやすさは欠かせない要素であり、そういった意味でも、今のつんく♂はむしろ大衆性に背を向けているように思えるのです。

ファンから寄せられる期待度の大幅な低下からも、ハロプロの不調理由はつんくに求めてよいのかもしれません。つんくが「スベっている」ことは間違いないと思うのですが、しかしそれは「大衆感覚を感知するレーダーが鈍磨し」たわけではなく、「世間のニーズを掴み得た」との勘違いにあるのではないかと僕はみています。スベってようが何であろうが、クレオパトラ鬘はとりあえずは「世間」にはインパクトとして有効に機能していますし、嫌悪感が生じるとするならば、それはファンならではのメンバー各人のキャリアを尊重しようとする暖かな思い入れによるものでしょう。
たとえば、つんくがしきりに「ロック」だ「イェイ」だと繰り返しているのは、それが有効であると考えているからです。自らに由来する言動を際立たせることによってキャラ立ちを図っている。それが「世間のニーズ」だと彼は考えている。「つんく」であることが世間から求められていると。しかし、その思い込みこそが勘違いであるように僕には思えます。その視点とは結局のところ、「世間の目」を通して自分で自分を観ているに過ぎません。当然、そこには自己意識という名のフィルターを介在させます。世間のニーズを探っているつもりがいつのまにか、世間が自分に求めることへと方向が変化してしまっている。それは、内へと向かうとても窮屈な表現方法ですよね。典型的な自家中毒であり、世間との「ズレ」は日増しに大きくなっていく。それが今日の不調に繋がっているような気がします。


最近のつんくを見ていると、要領のよい振る舞いを目指しているとしか思えないないときがあります。いちタレントとしてならまだしも、プロデューサーとしてクリエイターとして、そしてハロプロだけではなくモーヲタというムーブメントまでをも牽引する者としては、努力ではなく要領を以って身を立てようする素振りを見せてしまっては致命的でしょう。資質を疑問視されても文句を言えません。断っておきますが、これは「見せ方」の問題です。多忙によって以前のように音楽の制作に時間をかけることが出来ないのだとしても、もっとやり様というものがあるはずです。無為に信頼の失墜を招いてしまっては上に立つ者としては失格でしょう。その辺の無自覚な振る舞いとCD不況などの外的な要因が相まって、世間よりも先に運命共同体であるはずの一部のコアなファンから背を向けられるというおかしな事態を招いてしまっている。モーニング娘。は応援するが、そのプロデューサーであるつんくは信頼出来ないと。それでは、つんくの存在意義とは一体何処に求められるのでしょうか。


現在のハロプロには、「世間」には依然としてある程度の認知力を誇りつつも、土台となるファンたちが徐々に離れ出すという空洞化現象が見られるように思います。このままでいくと、早々に天井が抜け落ちかねません。それを防ぐためには、つんくが自らの勘違い(ズレ)に気づくことが欠かせないと思うのですが、まあどうなってしまうんでしょうか。一方で、そろそろつんくをプロデューサーという縛りから解放すべき時期に来ているといえるのかもしれませんね。

そもそもがモーニング娘。について語るためにサイトを始めた「ファンサイト」としての意識が強い私のような人間にとっては、「ハロプロの盛り上がりを確認し、共感を得るための駒」としてハロプロを好きな誰かのお役に立てたのであれば、こんなに光栄なことはないと思えるのです。このあたりはサイトとしての立脚点の違いに拠って感じ方が違うのだなと改めて感じ入り、視野が広がる思いでした。

この辺のことはTKさんが事あるごとに表明されていることであり、その滅私奉公のような覚悟には敬意を払わずにはいられないわけですが、むしろそういった立脚点こそが特殊な例であるように思えます。数あるモーサイト群の中で、唯一無二の個性を誇る数少ないサイトのひとつであるモー神通信。さんだからこそ、説得力を感じることが出来る言葉ではありますよね。