後藤真希&松浦亜弥日記

松浦CMの違和感

近松浦亜弥の出演する「SurerMiLD」と「SKY PerfecTV!」のCMをよく見かけるが、両方とも意図することを表現しきれずどこか不完全であるような印象を受ける。
まず「SurerMiLD」は、なんといっても松浦の髪が短いことに尽きる。商品の効果・効用を示すための「素材(髪)」としては不適格であるように感じる。「魅力的な髪を持つ人物」ではなく、「人気や話題性を持つ人物」ということを主眼に置いた人選であったのだとの見方も出来るが、このCMが巷に流れ出す少し前まで松浦の髪は長かったという事実を前に正直訳がわからない。
SKY PerfecTV!」は大雑把に言って、松浦の小悪魔的な魅力を全面に押し出した作品である。がしかし、ここで表現しようとしている「小悪魔」とは、幼さの残る中に微妙な色気を感じさせてこそ成り立つものであり、それは昨年までの松浦のイメージをなぞったものだ。しかし今年に入ってからの松浦はすっかり大人の女性として成長してしまい、いくらおでこを出して幼さと可愛らしさを強調しても無理を隠しきれない。ウインクもやけに艶かしい。

後藤と松浦のイメージ

ここ一年程、後藤真希松浦亜弥の大人の女性への急激な変貌には目を見張るものがある。後藤の場合も、年を経るごとに大人びていく外見とは裏腹に、内面では幼さと純真さを深めていくようで、松浦に負けず劣らず先行きに不安を覚えなくもないが、彼女に関してはデビュー当時から見た目と内面とのギャップは既に存在していたので、それ程気にかけることではないだろうと高を括っている。しかし松浦の場合は、アイドルであることをデフォルメしたようなキャラクターが印象的である分、実物を差し置きイメージだけが一人歩きしてしまう危険性が誰よりもある。楽曲に関してだけは歳相応ともいえる大人びた本格歌手路線に向かいつつあるようだが、アイドル・タレントとしては従来どおりの「あやや」であることを求められるというこの板ばさみ。いずれ二つの顔の使い分けに破綻が訪れるのかそれとも良い形で統合されるのか、要らぬ心配をしているという話。

ゴマキあやや

対比ついでに二人の愛称について思っていることも書く。
ゴマキ」と「あやや」。ここで注意すべきは、この二つの呼び名は共に公に浸透している愛称であって、決して親しい間柄で用いられているものではないということ。松浦と仲が良いとされている藤本美貴とは「亜弥ちゃん」「美貴ちゃん」と呼び合っているし(藤本の「ミキティ」という愛称も同じ部類に入るのだろう)、後藤は「ゴマキ」と呼ばれることよりも「ごっちん」と呼ばれることを好む。
結論から先に書くと、「ゴマキ」と「あやや」、どちらであっても発言者はそう呼ぶことよって親近感を込めているのだろうから、ならば松浦も後藤もそう呼ばれることを受け入れて発言者の好意に応えて欲しいと僕は思う。ただこれは逆からいえば、たとえ「あやや」と呼んでも一般的な愛称のように互いの心の距離を縮める効果は期待できないということでもある。「あやや」は悲しいほどに一方通行の愛称である。
後藤の心情を酌んで「ゴマキ」を半ば蔑称として否定し、「ごっちん」と呼ぶことを主張するファンもいるようだが、僕はあまり賛成出来ない。「ゴマキ」という呼び名が好ましくないということを知るためにはファン並の知識が不可欠であり、とすれば「ゴマキ」を蔑称として用いているのはファンに近い立場にいる者ということになる。まあ要するに、蔑称としての「ゴマキ」はその性質上、モーニング娘。のファン同士で異なるメンバーを支持する者のいがみ合いに用いられる場合が多いのではないかと思うのだ。であるなら、無視して何の問題もないだろう。


ゴマキ」という愛称も「あやや」という愛称どちらも、実のところ、当人による捉え方も世間による捉え方も、どちらをとってみても同じようなレベルにあるものではないかと思う。「あやや」という愛称によって松浦人気はかなり後押しされている。後藤には後藤なりの拘りがあるのだろうけど、松浦のように公の愛称であるとして割り切りそれを受け入れ、それによって生じる親近感を利用して更なる飛躍を図ってはどうなのかと常々思うのだけどね。