THEマンパワー!!!

現在、各歌番組でお披露目中の新曲。東北楽天ゴールデンイーグルスの公式応援歌でもあるそうで、正直、その手の曲であると勝手に思っていた。何もせずとも世間は楽天応援ムードにある中で、何故わざわざモーニング娘。まで応援に名乗りを上げる必要があるのだろうか。あるとするなら、応援とは別の理由からだろうと。
また旧態依然とした球界体制に挑む姿勢を見せる楽天は、ロックに見えないこともないので、無類のロック好きであるつんくが飛びつくのも無理はない。しかしだからといって、楽天人気に便乗する形で新曲を発表してしまっては、はたしてその行為をロックとすることが出来るのだろうか、とも考えていた。
以前からモーニング娘。は環境問題や何やと長い物に巻かれ上手なところがある。それを悪いことだとはいわないが、ロックとはだいぶかけ離れている。こういったことが続く限りは、モーニング娘。の先行きも安泰なのだなと思ったりもするが、何やら釈然としないものを感じる。


と、ここまでが事前の印象なのだけど、『THEマンパワー!!!』という曲は予想に反して凄かった。実際に歌番組での新曲披露を観ると印象は一変。想像していた無難さとは真逆の、おかしな曲調と意味不明の歌詞、振り付けで構成される、常人の理解を超えた曲だった。よくもまあこんなやりたい放題の怪曲を応援歌として差出したものだと半ば呆れつつも感心した。楽天人気に便乗する謙虚さは微塵も感じられない。そこからイメージされるのは、唖然とする三木谷社長に目もくれず、明後日の方向に全力疾走するつんくの姿。今回ばかりはつんくのロック魂を感じることが出来たような気がする。


僕は『THEマンパワー!!!』という曲を手放しで賞賛している訳ではなく、その完成度についてはまだ懐疑的に捉えている。これは漫画でもアニメでも小説にも当てはまることなのだが、「ロボット」だったり「泣き」だったり「純愛」だったり「ミステリ」だったり「エロ」だったりと、消費者に関心を持たせる要素を作品に詰め込むことは特に問題はない。しかし、それらが作品の土台から剥離していると感じるようでは駄目だと思う。極論すれば、全く必然性のない「エロ」や「泣き」があってもいいと考えている。要は、全てを統制する強制力や魅力のようなものが作品の根底に存在しているかどうか。要素だけで成り立っているような作品は論外だ。
このような視点で『THEマンパワー!!!』を眺めてみると、一番の難所となるのはあの卑猥とも取れる腰つき。比較対照として同じような腰振り要素を持つ『恋愛レボリューション21』が挙げられるが、『恋レボ』はその総合力の高さから腰つきの卑猥さなんて全く問題にならなかったと思う。むしろ曲の魅力の一部として取り込んでしまっているように感じる。名曲とされる所以だろう。
『THEマンパワー!!!』はなかなか興味深い曲なのだけど、『ラブマシーン』止まりかなと思う。『恋愛レボリューション21』までは届かない。各要素は少々散らかり気味で、纏まりに欠けているように感じる。前衛的な楽曲と分類するなら評価も違ってくるかもしれないが、それではまた意味合いも変わってくるだろう。それにしても、みなぎったり、ものごっつかったり、素晴らしかったり、挙句に僕らだったりする「マンパワー」って何なのだろう。