石川梨華卒業に関するあれこれ

現在のモーニング娘。を取り巻く状況を鑑み、卒業公演の恒例行事化はしょうがないとしても、そこに無理やりにでも前向きな展望を見出すことが出来なければ救いがない。モーニング娘。を離れることとなった中澤裕子後藤真希に一抹の寂しさを感じはしても、当時、二人の先行きは揺るぎのないものに思えた。またそこから広がるモーニング娘。の更なる可能性に希望さえ感じた。あれから二年半、現時点であれこれ言うのは時期尚早かもしれないが、飯田圭織の卒業は明るい話題に繋げようがない。本人がどう思っているか分からないし、先も見えない。ないない尽くしで悲観に酔うしか対応の仕様がない。むしろ先程の矢口真里の脱退にこそ主体性が感じられるので、まだ批判や応援の入り込む余地がある。依然として真相は闇の中だが、一身上の都合によるいざこざでハロプロに残留出来たはじめての事例となるのであれば、何やら皮肉めいたものを感じなくもない。
では石川についてはどうか。石川の卒業には悲観も批判も応援も、何も必要ない。卒業後の活動はある程度保証されているのだから。それは、美勇伝というユニットをあてがわれていることからも伺える。アイドル属性しか持たない石川ではあるが、何とかやっていける体勢を取り繕っている。卒業後もアイドル歌手としての活動を軸足に置く以上、この補強は必要不可欠なのだろう。石川としては先輩として岡田と三好を支えていくつもりかもしれないが、二人の存在によって支えられているのはむしろ石川の方。石川のためのユニットなのだから当たり前で、わざわざお荷物を付けてやる理由はない。
二人一組で認知されていたω(ダブルユー)は例外として、ここまで後押しの利いた送り出しは前例がない。卒業後、申し訳程度の仕事を与えてお茶を濁すのではなく、芸能界で生き抜くための具体的方策がきちんと練られていると感じる。安倍なつみ後藤真希に続く、モーニング娘。の中核メンバーの卒業なのだから、送り手も慎重にならざるを得ないといったところか。
安倍なつみ後藤真希がそうであったように、石川梨華もまたモーニング娘。の一時代を担っていた。それは飯田圭織矢口真里のように内から支える大黒柱としてではなく、外部にモーニング娘。が何たるものかを示す看板として。石川はエースではなかったかもしれないが、モーニング娘。のスターではあった。そして、石川がスターでありながらエースではなかったことは、様々な軋轢をもたらした。


持たざる石川が特別扱いされはじめた時、モーニング娘。の新たな方向性も決定付けられた。ハロプロニュースやカントリー娘。での石川の育て方を見れば、石川がある時点から次期中核メンバーとして嘱望されていたことが分かる。修行先のカントリー娘。は彼女のスタイルに合うべく様変わりを強いられた。モーニング娘。は石川を顔として迎え入れ、それまで辛うじて残っていた歌手路線、つまり矢口の言うところの「実力主義」を失った。モーニング娘。のアイドル化である。石川を中核にモーニング娘。の再編を考えた場合、それ以外の選択肢はない。石川を中心としたアイドル集団となることはあらかじめ予定されていたと考えるべきだろう。


そんな石川ではあるが、四期としてモーニング娘。への加入当初は、辻加護の圧倒的な個性を前に吉澤と共に日陰へとまわることを余儀なくされた。前に出るタイプの個性を持たず、いまだ歌手路線の残る当時のモーニング娘。の中、歌手としての素質に恵まれない彼女にとっては当然の流れだった。そこから紆余曲折を経て前線への復帰を果たすわけだが、これは本人の頑張りよりも置かれた環境によるところが大きい。第一線での仕事は石川に自信と物事を成し遂げる達成感を与えた。しかしそれは、自分を表現出来る恵まれた環境があってこそ。もし活躍の場を得られなかったらとしたら…。あのまま見るに耐えない自虐を披露し続け、メンバーとの関係性に存在意義を見出すより他にないところまで追い込まれていたかもしれない。これは現在の小川の境遇とよく似ている。石川と小川との違いは詰まるところ、活躍の場を与えられたか否か、ただそれだけでしかない。もしモーニング娘。が変わらず歌手路線を採っていたなら、小川と石川の立場は逆だったかもしれない。逆は言い過ぎだとしても、グループ内での位置関係は大きく変わっていただろう。小川不遇の一因は石川にある。たとえそれが石川本人が望んだものではないとしても。


矢口の言う競争意識を高めるためにはどうすればいいのか。以上の事柄を踏まえて考えれば、おのずと答えは見えてくる。手っ取り早い方法は、元凶を取り除けばいい。石川を排除することだ。努力した者、実力のある者だけが認められる環境作りに取り組む。そのためには、石川の優遇は決して看過できない。口だけでなく、矢口に改革に向き合う断固とした意気込みがあるなら、まずそこからはじめるのが筋だろう。現行モーニング娘。のあり様と石川梨華個人とは密接な関係にある。一方を否定することは、もう一方を否定することに繋がるということでもある。
しかし、矢口から石川を非難する態度は全く感じられない。それどころか苦楽を共にしてきた仲間として、矢口の抱く理想像を共有する同志として、石川を認めきっている。微笑ましく思う反面で、事の経緯やその改革が意味することについてどこまで考えていたのか疑問に思う。ただ単に、後輩に訓示をぶちたかった矢口さんなのではないか。
いずれにしても、仲間を否定してまで理想を押し通すつもりは、矢口にはないのだろう。また本来ならば疎まれる立場にある非実力派でいいとこ取りの石川が、現在では下からは慕われ上からは認められる存在となっていることも見逃せない。ASAYAN時代の敵意むき出しの競い合いからは到底得ることのできない仲間意識、信頼関係がその背景としてあるのだと思わずにはいられない。


現在のハロプロからは、競争原理の生み出す攻撃性とは全く正反対のものを感じる。加入当時の年相応の背伸びが今では見る影もなく、まるで童心のような純真さを内に育む高橋愛後藤真希の例。以前の鋭さはどこへやら、物真似やギャグといった持ちネタが自らの可愛さを引き立てるもの以上ではなくなってしまった加護亜依の例。『二人ゴト』での里田談話からも伺えるように、大げさにいえば清らかで無垢なものを肯定する空気がハロプロにはあるのだろう。石川梨華を取り巻く人間関係からは他人を蹴落としてまでのし上がる荒々しさにはどうしても結びつかない。殺伐とした世の中でそこだけが掛け替えのない輝きを放っていると、そう思いたい。モーニング娘。の中心でハッピーと叫んだピンクのけもの。


さて石川梨華という中核が去った今、次にどのメンバーを軸としてモーニング娘。を組み立てていくのかが焦点となるだろう。そこがはっきりしなければ今後の方向性を占うことも出来ない。また過去への束縛のあるメンバーが殆ど姿を消し、結果としてグループの新陳代謝が促進された格好となったことも興味深い。五期は加入時期がグループとしての絶頂期だったことが災いし、皆で力を合わせて芸能界を昇り詰めたという連帯意識を共有できなかった。よって四期と五期の間には「先輩/後輩」の明確な線引きがあり、新メンバーが何人加入しようとも五期以下は狭義での「先輩」になることはないのだが、これはまた別の話。とにかく疎外意識としてのびのびとした振る舞いを妨げる足枷となっていた。目標であり目の上のたんこぶでもあった先輩が去ったことで、更なる活躍が期待できそうだ。六期に関しては、特に何も言うことは無い。六期はあらゆるしがらみから解放されている。グループ全体に思いを巡らすあまり肝心の足元がお留守になりがちだった先輩たちとは異なり、自分たちにとっての当面の課題が何であるのか認識出来ている。今後、モーニング娘。を実務の面から引っ張っていくのは六期たちだろう。