行列のできる矢口

「汚れ」とは芸能の暗黒面。正規の芸に比べて習得し易く、不安と恐れの中にある芸能人が陥り易い。はるか昔、汚れ芸人(シス)はジェダイによって駆逐されたはずだったが、明石家・島田両マスター、ロンドンブーツ1号・2号の活躍で復権を果す。芸能界にダークサイドのとばりが降りてくる…。
「元モー娘。矢口は暗黒面に堕ちた」


今更だが、『行列のできる法律相談所』の話。そこには自らのスキャンダルを悪びれることなくネタにする矢口がいたとか。僕はその番組を観ていないのだが、モーニング娘。時代から矢口は暗黒面に片足を突っ込んでいたようなものだった。矢口の信奉する「モーニング娘。魂」とは、汚れすら辞さない確固たる姿勢を指していた。そんな矢口と現在の「汚れ」を奨励するバラエティ番組を合わせたなら、十分あり得る事態のように思える。モーニング娘。を去り、芸能界での基盤を失った矢口。新たな足場作りに腐心する彼女を暗黒面に誘い込むことは、赤子の手を捻るより容易かったことだろう。


弁護するつもりはあまりないのだけど、近頃のバラエティ番組の傾向を考えると、矢口は被害者なのではないかと思えてくる。あびる優の窃盗告白事件にも、亀井のフレッツ事件にも同じことが言えるのではないか。
あびる優と亀井、この二つの事件について一応説明しておく。以前深夜番組にてあびる優が自らが過去に犯した窃盗行為を語ったところ、予想を遥かに超えて批難が集中し身動きが取れなくなる事件があった。フレッツ配信のモーニング娘。動画にて、田中に接する亀井の態度がいじめではないかと問題となったことがあった。あびる優は素行不良であることを売りとして、亀井は小悪魔的で奔放な無邪気さを自らの性格に取り入れることで人気を集めていた。とするなら、この二つの事例に通底するのは、寄せられる期待に応えるようとする余り、社会の一員として弁えるべき事柄を見失ったということなのだろう。あびる優の事例に関しては、事前に番組側で適切かどうかの判断を下すべきだったとの指摘もあったようだが、論外だ。それを望んでいたのは番組側なのだから、できるはずがない。調子に乗ってしまったあびる優にも非はあるが、責任は言外にそそのかした番組側にあるのではないかと思う。


現在、テレビを中心に猛威を振るっているのが「笑い」という名のイデオロギーで、これはほぼ最強のイデオロギーと言っていいだろう。笑いの名の下に人を、もしくは自分を辱めることあげつらうこと差別すること、その他諸々の人格批判が正当化される。最強たる所以は、そういった非人道的行為に対する批判さえ笑いとして取り込むことが可能だということだ。そのイデオロギーが通用する範囲内では全く手がつけられない。
通常、笑いの論理と社会規範とでは、社会規範が上位に位置づけられている。下位にある笑いの論理は上位にある社会規範を超えることはない。しかし、「笑い」という名のイデオロギーに毒された人間はその例ではない。しばしば笑いの論理を優先させて世間の顰蹙を買う。今回はそれが矢口だっただけの話だろう。


当たり前のことだが、芸人は芸によって、アイドルはアイドル的な振る舞いによって身を立てるべきなのだ。そこに横槍を入れる者がいる。鼻先に餌をちらつかせて暗黒面へと誘惑する。アイドルや芸人として、先の見えない努力を積み重ねていくよりも、刹那的な快楽に身を委ねた方が楽に決まっている。しかし、たとえ負のフォースによって注目を集めたとしても、決して何かを成し遂げたわけではない。殆どの場合、むき出しの自己顕示欲を面白がられているだけだ。番組の一時的な盛り上がりに利用され、残り少ない信頼を失っているようでは目も当てられない。
だから本業を第一に考え、暗黒面への誘惑に打ち勝つ強い意志を、とかなんとか書きたいところなのだが、モーニング娘。を脱退した今、矢口の本業とは一体何なのかよく分からない。モーニング娘。が暗黒面に頭を半分突っ込みながらも今までやってこれたのは、アイドル歌手として活躍の場があったからだと思う。コンサートであれが出来てあれが出来なくて…。メンバーたちがよく口にすることだ。そういった支柱なくして、ダークサイドのとばりに包まれたこの芸能界で生き抜くことは難しかっただろう。卒業生の中で最も暗黒面に陥り易いとされる石川には、美勇伝という支柱が新たに与えられている。各バラエティ番組に出演ラッシュをかけるよりも、矢口にもそういった配慮が必要だったと悔やまれる。もちろん結果論ではあるのだけど。