H.P.オールスターズは

H.P.オールスターズの演出方法は、ハロプロの歴史を表しているとの見方が大勢を占めているようだが、であるなら同時にハロプロ内に存在する序列をも表していることになりはしないか。それはある意味でとてもきな臭い。とはいえそれは、業界内にどれだけ身を置いたかによって格付けされるどこの世界でも見られる年功序列的なものでしかないが、古株中の古株であるように感じていた稲葉貴子後藤真希と木村絢香と共に第三列に配されていたり、集団的な上下関係や横の繋がりが見えにくい前田有紀松浦亜弥と同じ第六列であったり、六期メンバーがハロプロキッズの後であったりと、僕が勝手に想像していたものとは若干異なる部分があるので興味深い。ハロプロキッズは業界の先輩として六期の先輩筋にあたるのだろうか、それともモーニング娘。は別格として外様扱いになるのだろうか、などと想像は広がる。
ただそういった位置づけ、つまりは年功序列による絶対的な上下関係というものは、ファンの「思い入れ」を補完する奇麗事だけに収まるものではなく、現実として先輩と後輩との間に壁を作ってしまう難儀なものだと思う。だから大先輩として良い意味でメンバー内で孤立しているように見える飯田圭織(と中澤裕子)や、加入当初、悪い意味で同期同士で固まりがちだったという五期メンバーの登場場面などは、ファンとしては少々複雑な感情を抱いてしまうわけだ。四期以降のメンバーが事あるごとに同期としての横の繋がりを意識した発言をすることも、こういった問題と決して無関係ではないような気がする。

センターとしての石川梨華

H.P.オールスターズのセンターポジションには石川梨華を配しているように見える。実力と人気の双方を備える後藤真希でも松浦亜弥でもなく、人気はあるが対外的な実力の伴わない彼女に何故白羽の矢が立つのか。モーニング娘。内のセンター争いでも似たようなことが起きる。またお得意の二枚舌なのかと怪しんでいたのだが、先々週のうたばんでのハロプロキッズ発言を聞いて積年の疑問が思いがけず氷解。石川梨華が目標であるというキッズ。その理由を尋ねられてこう答える。

「石川さんは自分をしっかりとアピール出来るから(大意)」

現在の芸能界で人気を得るためには歌唱力や演技力などの表現者としての能力を高めるよりも、バラエティ番組の司会者にとって扱い易いよう自らのキャラクターに磨きをかける方が手っ取り早い。そのことを本能的にであってもこの子は察知しているのだと思う。もっと言えば、松浦や後藤は無理だが、目立った才能もなく要領とキャラクターだけで身を立てているように見える石川梨華であれば、自分であっても追いつき追い越せるものだと軽んじているのではないか。そのような邪推も出来る。
このような捉えられ方は全国的にモーニング娘。追加メンバーのオーディションを開催する事務所としても、とても都合のよいことであるように思える。伝統的にモーニング娘。は手を伸ばせば届きそうな親しみやすさを売りにしているところがあり、同様にアイドルに憧れる少女たちの勘違いも誘っているのかもしれない。とすれば、そのような勘違いを誘発させるに石川梨華はまさにうってつけの存在なのではないかと思う。しかし誰もが石川梨華になれそうで誰も石川梨華にはなれない、というのが厳しくも悲しい現実といったところだろう。頑張れ。

FNS歌謡祭 誠実で塗り固めた不誠実

ネットから離れた生活をしていると、ネット漬けだった以前とは比べ物にならないほど驚かされることが多くてむしろそのことに驚く。先日もH.P.オールスターズ目当てにのんびりと『FNS歌謡祭』を観ていたらいきなりの謝罪に出くわし驚いた。しかも何についての謝罪なのか少しも説明されないままでそれは終了。驚きを通り越して混乱した。わかったことは安倍なつみが何かを仕出かしたということだけ。見かけは幼くとも安倍は成人なので酒・煙草による不祥事ということもないだろう。これは男性問題なのか。それとももっと深刻な犯罪に関わるような事態なのかとあれこれ考えを巡らし時間を潰してしまった。程なくして彼女の自作詩に関して盗作疑惑が浮上しているということを知った。
いち早く「謝罪」という態度を表明し誠意を示したいが、同時にこれ以上騒ぎを大きくさせたくはないので何についての「謝罪」であるのかの明言は避けたということか。なんとも中途半端な覚悟が見え隠れする「謝罪」ではないか。「盗作」という言葉を用いようが用いまいが、そこに行き着く者はどうあってもそこに行き着く。むしろ肝心な部分を伏せたことで事情を知らない大多数の視聴者までも不要な混乱に陥れてしまってないか。これが『ハロモニ。』ならともかくも、本番組には安倍なつみの名前すら知らない視聴者だっていただろうに。形ばかりの誠実さで塗り固めた一方的で独善的なやり口には呆れるばかりだ。

何故盗作という行為に至ったのか

しかし「盗作」という事実に倫理的・法的な問題が発生するとしても、何故安倍なつみがそのような行為に至ったのかいまいち納得がいかない。それらは個人的にしたためていた自作の詩であったという。これは想像なのだけど、職業芸術家ではない彼女が「したためる詩」とは美的なものを表現した所謂「芸術詩(?)」などではなく、あくまで作者のその時々の心情を表現もしくは記録したごく私的なものではないかと思う。だとすれば、一部の表現ばかりかその殆どを「盗作」してしまっては全く意味を成さないことになる。人生や感性を盗作してしまっては、そこに「安倍なつみ」の心情などあるはずもない。全くおかしな話だ。
しかしワイドショーによると、盗作は安倍なつみ本人ではなく彼女付きゴーストラーターの所業である可能性も考えられるという。何気に信憑性の高い説であると感じた。職業として文筆に携わる人間ならば素人の安倍とは立場が異なる。時間的にも内容的にも制約を課せられ、作品に一定以上の水準が求められるのだろう。そういった人物が何らかの理由によって追い詰められた挙句、盗作に走るということは十分にあり得る話だと思う。